L.v.B.室内管弦楽団 第52回演奏会
これは既に終了した演奏会です。日時: 2023年10月22日(日)
会場:
光が丘IMAホール
曲目:
W.A.モーツァルト:
交響曲第31番 ニ長調 K. 297 (300a)
L.v.ベートーヴェン:
『レオノーレ』序曲第2番 作品72a
J.ブラームス:
交響曲第1番ハ短調作品68
苫米地 英一
作曲家にもいくつかタイプがあり、モーツァルトやシューベルトなどは速筆・多作、ブラームスやブルックナーは1度作り上げた作品でも改訂をすることが多いイメージではないだろうか。
モーツァルトと言えばオペラを数日で作曲したりと速筆作曲家の代表格とも言えるが、「パリ交響曲」は新たなマーケットを視野に入れたためか随分と推敲に時間をかけている。前作から3年半の間があったり、クラリネットを含む二管編成(この「パリ」以外には第35番「ハフナー」のみだ)のためということもあるだろう。第2楽章に至ってはクライアントの意向に沿って改訂しているぐらいだ。
ベートーヴェンであれば自分の作品に口出しをさせるようなことはまずないだろうし、のちのブラームスやドヴォルザークは特に協奏曲で専門家に相談をすると逆に喧嘩になる・・・というエピソードもあるのとは時代の違いが関係していそうだ。
そのベートーヴェンからは唯一のオペラ「フィデリオ」の序曲から第2番。
「レオノーレ」なのに「フィデリオ」とは面妖なことだが、劇中で主人公「レオノーレ」が劇中で男性に扮装した際の名前が「フィデリオ」だ。同一原作の他の作品との混同を避けるために初演時に「フィデリオ」としたようだ。この初演は(観客のほとんどがドイツ語の分からない、当時ウィーンを占拠していたフランス軍兵士だったとか)大失敗に終わり改訂を行う。この時に作られたのが現在もっとも演奏される序曲「レオノーレ」”第3番”となり、やや冗長な”第2番”が推敲されベートーヴェンの代表作とも言える完成度だ。そうすると”第1番”はどこにいったかという話になるが、大失敗した初演時の序曲が”第2番”、改訂版で”第3番”、その後プラハ公演に向けて作曲されたのが”第1番”、さらに最終稿ではベートーヴェン自身も「フィデリオ」として改題し序曲も改めて「フィデリオ」序曲となる長い物語をもつ。現在では序曲第2番が演奏される機会はあまりないのだが、これが改訂されて第3番になったのか、という苦労話を思うと感慨深い作品である。
最後がブラームスの交響曲第1番。
ベートーヴェンの後継者たらんと21年の歳月を要したこの曲が世に出る1876年には、シューベルト・メンデルスゾーン・シューマンは既に世を去り、ブルックナーは第4交響曲(1874)、ドヴォルザークは第5交響曲(1875)、チャイコフスキーが第3交響曲(1875)そしてワーグナーは「ローエングリン」(1848)、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(1867)を書き上げている。「ベートーヴェンの第10交響曲」との評価からするともっと前の完成に思えるのだが、”古典派の延長の作品”ではなく、”ロマン派全盛期の作品”として聴いてみるとまた違った景色が見えてこないだろうか。
クライアントの要望に応えるために改訂されたパリ交響曲、この作品を必ず世に出すという決意の第一歩であるレオノーレ、そしてベートーヴェンの作品というプレッシャーの中生み出された交響曲第1番。作曲家の作品に対する対照的な向かい方を感じていただきたいプログラムである。
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