アンサンブル ディマンシュ 第84 回演奏会
これは既に終了した演奏会です。日時: 2019年2月9日(土)
会場:
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
曲目:
モーツァルト:
歌劇「劇場支配人」K486 序曲
シューベルト:
交響曲第2 番 変ロ長調 D125
ビゼー:
交響曲第1 番 ハ長調
平林 遼
~若くして逝った天才作曲家たちの作品~
今回は、30代で惜しまれながらこの世を去った3人の天才作曲家、モーツァルト、シューベルト、ビゼーの作品でプログラムを組みました。
若くしてこの世を去った天才作曲家と言えば、その筆頭はモーツァルトでしょう。彼は1791年、35歳という若さで亡くなっていますが、その短い生涯に600以上の作品を残しています。死因は感染症と言われていますが、毒殺説など異説も多くあります。未完を含めて20曲以上のオペラを残していますが、今回演奏するのは、1786年、30歳のときに書かれた一幕物の喜歌劇「劇場支配人」の序曲です。この曲の冒頭に現われる低弦の伴奏型は、1783年に書かれた交響曲第36番「リンツ」第1楽章主部のものと酷似しています。 「歌曲王」と言われているシューベルトは、モーツァルトよりも更に若い31歳で亡くなっています。彼の死因も、腸チフス説、治療に伴う水銀中毒説など諸説あります。番号付の8曲の交響曲のうち、「未完成」と「グレイト」以外はほとんど演奏されませんが、交響曲第2番は、1814~1815年、17~18歳の作品で、躍動感に満ちた初期の秀作です。第1楽章の序奏はモーツァルトの交響曲第39番、主部の第一主題はベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲、さらに第2楽章の変奏形式はハイドンの交響曲に類似など、先人巨匠達の影響と思われるものが多々みられますが、メロディはシューベルトそのもので、「歌曲王」の片鱗が窺えます。ちなみに、直前の1814年2月には、ベートーヴェンの交響曲第7番と第8番が初演されています。
歌劇「カルメン」の作曲者として知られるビゼーが亡くなったのは、1875年、36歳で、死因は疾患に伴う心臓発作だと言われています。9歳でパリ音楽院に入学を許されるほどの天才ですが、作曲家としての名声を得たのは死後のことのようです。交響曲第1番は、1855年、17歳のときに1ヵ月ほどで書き上げられましたが、生前に演奏された記録はなく、初演されたのは実に80年後の1935年です。調性や第1楽章の主題、第2楽章の長いオーボエの旋律などはシューベルトのグレイト交響曲(1838年初演)を思わせます。この時代の交響曲にしては古典的でコンパクトにまとまっていますが、躍動感の中に優雅なメロディが随所に散りばめられた秀作です。交響曲は3曲書いたようですが、他の2曲はビゼー自身によって草稿が廃棄されたらしく残っていません。ならば、「第1番」とあえて言う必要があるのかと思いますが、長年の慣習でそう呼ばれています。ただ、最近では、フランクのように単に「交響曲」としている演奏も出てきました。
なお、30代で亡くなった有名な作曲家には、ほかにメンデルスゾーン(38歳)やショパン(39歳)などがいます。
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